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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)7178号 判決

三菱信託銀行

事実

原告は、昭和二十九年九月十五日破産宣告を受けた訴外日本物産株式会社の破産管財人である。ところで右破産会社は被告三菱信託銀行株式会社と昭和二十五年十二月以降取引をし、昭和二十九年三月十二日現在合計金一千五百三十七万七千六百五十二円の預金債権を有していたが、被告銀行は破産会社に対し同年三月十二日附の書面を以て、(一)、破産会社が訴外モンサント化成工業株式会社宛振り出した金額金二百三十二万三千二百円なる約束手形一通、(二)、破産会社がモンサント化成工業株式会社宛振り出した金額金二百三十万円たる約束手形一通、(三)、破産会社が訴外三菱金属鉱業株式会社宛に振り出した金額金二百五十七万二千三百二十七円の約束手形一通、合計金七百十九万五千五百二十七円の手形債権を被告銀行が取得したから、順次右対当額を以て破産会社が被告銀行に対して有する預金債権と相殺する意思表示して来た。

しかしながら、前記三通の約束手形のうち(三)の三菱金属宛に振り出した約束手形は、被告銀行が三菱金属から単に取立委任を受けて預つていたにすぎないものであるから、被告銀行が右約束手形債権を以て相殺の自働債権とする被告銀行の右相殺行為は破産会社が支払停止をした昭和二十九年三月十日後になされたので、破産法第七十二条第四号にいわゆる破産者が支払停止した後になされたものであり、しかも債務弁済の方法が債務者である破産者の義務に属しないものに外ならないから、原告は破産法第七十二条第四号、第七十五条の規定の趣旨により、被告銀行のなした右相殺を否認する。よつて原告は被告銀行に対して右金員及びこれに対する完済まで年六分の割合による遅延損害金の支払を求めると述べた。

被告三菱信託銀行株式会社は抗弁として、被告銀行は前記(一)の約束手形を三菱金属から裏書譲渡を受けたのであつて単に取立委任を受けて預つていたものではない。

被告銀行は破産会社と被告銀行との間の取引に関して約定書を破産会社に作成させたが、その第二条、第七条に、被告銀行が破産会社に対して有する債権を保全する必要のある場合、或いは被告銀行が取得した破産会社が振出等をした手形で手形関係人の誰かが支払停止を受けるなどして信用に異状を生じたと認められる場合には、被告銀行においてその破産会社に対して有する債権と、破産会社の被告銀行に対する預金債権とを相殺することができる旨の合意がなされていた。被告銀行は、破産会社振出の前記(一)の約束手形を三菱金属から、(二)、(三)、の約束手形をモンサント化成からそれぞれ裏書譲渡を受けて取得したが、破産会社がその後不渡手形を出したので、被告銀行は、このことは前記約定書第二条、第七条に規定するところに該当すると認め、昭和二十九年三月十二日附で破産会社に対し、被告銀行が取得した前記の手形債権と破産会社の預金債権とを対当額で相殺する旨意思表示した。従つて右相殺は有効であつて破産会社が被告銀行に対して有していた預金債権はその限度で消滅したのである。しかして右相殺は破産法第百条各号の制限にふれないものであるところ、右制限にふれない相殺は破産宣告後破産手続によらず有効になし得るばかりでなく、破産宣告前になした場合においても、破産宣告後も有効であると解すべきであるから、原告主張のように破産法第七十二条の否認権の対象とはならないと述べた。

理由

破産会社(日本物産株式会社)と被告三菱信託銀行株式会社とが乙第三号証の約定書の契約をして取引していたこと、破産会社が昭和二十九年三月十日支払停止をし、同年九月十五日破産宣告を受け、原告がその破産管財人となつたこと、被告銀行が前記約定書第二条、第七条に基いて昭和二十九年三月十二日附書面を以て破産会社が被告銀行に対して有する預金債権と被告銀行が破産会社に対して有する約束手形三通合計金七百十九万五千五百二十七円の手形債権とを相殺する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

原告は被告銀行が取得したと称する約束手形のうち、三菱金属工業株式会社宛に振り出された手形は単に取立委任を受けて預つていたにすぎないと主張するので判断するに、証拠によれば、右約束手形の被告銀行に対する三菱金属の裏書部分のうち「三菱信託銀行株式会社」とある記載が抹消されており、その符箋には「不渡返却」と題し、被告銀行から三菱金属あてに本件手形の支払を拒絶する旨の記載があるので、被告銀行に対する三菱金属の裏書が原告主張のように隠れた取立委任裏書ではないかとの疑を生ずるが、他の証拠によれば、被告銀行は昭和二十九年一月三十日三菱金属の依頼により本件手形を割引いて三菱銀行から裏書を受けたことが認められるから、右認定に反する事実を前提とする原告の主張は採用できない。

次に原告は破産法に基いて被告銀行のなした相殺を否認するので按ずるに、被告銀行が昭和二十九年三月十二日附書面でなした本件相殺が破産法第百四条各号に該当しないことは当事者間に争がないから、問題は右のように破産宣告前にした同法第百四条各号に該当しない相殺を破産宣告後否認することができるかどうかということになる。

破産法が否認権を認めた根拠は、破産宣告後にあつては破産財団の管理処分権能は破産管財人に専属し、破産者が破産財団に関して何らかの法律行為をしても破産債権者に対抗し得ないから、破産宣告後において破産者が破産債権者の利益を害することはなし得ない訳であるが、破産宣告前にあつては債務者は自己の財産を自由に管理処分できるし、破産宣告の効力は遡及しないから、債務者が将に破産になろうとする危機にありながらその財産を隠匿したり、廉売、浪費したり、或いは特定債権者にのみ弁済又は担保提供をして独占的な満足を与え、そのために他の一般債権者に不利益を与えるようなことになつては著しく債権者間の衡平を害することになるので、破産手続の目的である総債権者へできるだけ多くの又公平な満足を与えるために、破産者が破産宣告前になした行為であつても破産財団を減少させたり債権者間の公平を害する等一定の要件を具えるときには、破産管財人においてその行為の効力を否認し、その行為によつて生じた破産財団の減少を回復させて一般債権者を保護しようとしたところにある。

他方破産法上特に相殺を規定する所以を考えるのに、元来相殺は最も簡便な債務免脱の方法であるが、経済的には相手方の自己に対する債権を以て自分が相手方に対して有する債権の担保的作用を営ませる傾向をもつから、この相殺の実質的作用が、当事者の一方が突然破産したからといつて奪われるべきでないのみならず、破産者の債務者は破産財団に完全に弁済させられ、自己の債権は破産手続による割合配当で満足しなければならないとすることは、債権者と破産者との関係からみて著しく権衡を失するものといわねばならないから、破産の場合には尚一層相殺を許すべきである。ところが相殺を認めることは破産手続による平等比例配当の原則に対して大きな例外を認める訳であるから、一般債権者との衡平上からいつても、破産宣告後又は破産に陥る虞の生じた時期以後に破産者の債務者が実質的な価値の下落した債権を安価で収得して自己の破産者に対する債務と相殺するような相殺の特権の濫用を制限する必要があり、この両方の要求によつて民法の規定による相殺を修正することにしたのである。

要するに、破産法第百四条における相殺の制限と第七十二条における否認権と両々相まつて、一般債権者の衡平を図ろうとしたのであつて、一般的にいつて破産債権者のした相殺の結果が、同法第七十二条第四号にいわゆる破産者の義務に属しない方法による債務の消滅と異ならないとしても右の相殺の制限にふれない以上、破産債権者が自己の所有する破産債権と自己が破産者に対して負う債務と相殺することによつて、実質上破産債権の完全な弁済を受けても他の債権者としてはそれを承認せざるを得ないものといわなければならない。従つてこの趣旨から、破産宣告後の相殺のみならず相殺の意思表示が破産宣告前になされた場合でも、破産法第百四条の制限にふれるならば破産法上無効な相殺と認めるべきであると同時に、右の制限にふれないならば有効な相殺として否認権行使の対象とはならないと解すべきである。

従つて被告銀行が昭和二十九年三月十二日にした相殺の意思表示を破産法第七十二条第四号、第七十五条の趣旨に基いて否認するとの原告の主張は失当である。

しかし相殺行為自体と相殺適状を生ぜしめた行為とは別個であつて、後者が破産法第七十二条各号に該当する時には否認することもできるものといわねばならないところ、原告は破産会社が被告銀行に差入れた約定書第二条、第七条の相殺の合意を破産法第七十二条第一号に基いて否認すると主張するが、右の約定書が作成されたのが昭和二十七年八月二十五日である以上、その時期からみて右合意が同法第七十二条第一号にいわゆる破産者が破産債権者を害することを知つてなした行為には該当しないと認められるから、右合意を根拠として被告銀行のなした相殺の意思表示は有効といわなければならない。

よつて原告の本訴請求は失当であるとしてこれを棄却した。

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